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ウィショーさんと思いがけない冒険の話

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映画『クラウドアトラス』(2012年)で作曲家の家およびケアホームとして登場したOvertoun House(2013年訪問)    2012年に公開された『007/スカイフォール』をーー正確には予告動画のほんの短い登場シーンをーー見た時、ベン・ウィショー演じるQというキャラクターに掴まれた。それまでにもいくつかの作品に出ているのを見ていて、良い役者だなと思ってはいたものの、大きな衝撃を受けたのはやはりQだ(かわいい)。しかし、過去の出演作をさかのぼって鑑賞するにつれ「あれ……この経歴のなかではQはむしろ異色……なのでは……?」となっていく。けれど、それに気づいた頃にはもうすっかり「中の人」のファンになっていた。 映画『情愛と友情(Brideshead Revisited)』(2008年)が撮影されたカースル・ハワード(2014年訪問) 同、撮影に使われた Castle Howard の庭園建築「四つの風の神殿」(2014年訪問)  それからというもの、趣味と仕事の英国旅行に、映画やドラマのロケ地訪問をつけ加えて、2013年以降数年間はあちこち行った。ハマった直後にはツイート数が激増して「久しぶりに見たら村上さんの様子がおかしくなってて……」と人から言われたこともある(今はだいぶ落ち着いています)。 Peter and Alice( Noel Coward Theatre 2013年) Bakkhai(Almeida Theatre 2015年)  舞台、ドラマ、映画のあいだでほぼ等分のバランスを取りながら仕事をするタイプの人なので、ロンドンやニューヨークに舞台を見に行くようになった。思い切って足を踏み入れるとどんどん楽しくなって、近くの劇場にかかっている演劇やミュージカルにも気になったら行ってみるようにもなった(続けて見るうちにだんだん自分自身の好みがわかってきた。フェミニスト要素があり、元気な女性が出てくるもの、歴史に向き合う物語、怒りとユーモア、手作り感のある規模小さめな作品を 好きになる みたい)。  行ったことのない土地も、ジャンルごとまったく興味がなかった映画やドラマも、あまりに尖りすぎて、鑑賞後は唖然として何も心に浮かばなかった実験的な舞台もーー近ごろの言い方をするなら、誰かを「推し」ていなかったらまず見ることのなかった世界だ。どんな分野でもきっとそう

メイドの目で見たヴィクトリア時代のインテリア[再録・後編]

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『ヴィクトリア時代の室内装飾 女性たちのユートピア』(LIXIL出版 2013年8月発行) に寄稿した文章の再録です。 前編 と 中編 はこちらです。 掃除中に起きる小さなドラマ(続き) クリノリン(スカートを膨らませる骨組)が大流行。掃除のたびに装飾品やランプを叩き落して……。「Punch」1864年。  たとえ盗まなくても、主人の持ち物に意図せず損害を与えてしまうことはあった。法律上、壊したものの代金を断りなく給料から差し引く行為は許されていなかったが、実情は違ったらしいことが元メイドの証言からうかがわれる。1920年代に老夫婦のコック=ジェネラル(料理を中心に家事全般を引き受ける使用人)をしていたバーネット夫人も罰金の思い出を語っている(Frank Dawes『Not in front the Servants』より)。痰壺を便器の上に落とし、便器を壊してしまったのだ。女主人は怒って週給を差し止め、弁償させた。しかし別のときにも彼女は、朝食のしたくをしようとして観葉植物を持ち上げたとき、鉢が「宙を飛んで」壁に激突し、2週間も給料を止められてしまったという。  壊れやすい陶器で出来たものや、ガラスケース入りの飾りもので隙間という隙間を埋めるのがヴィクトリア時代風のインテリアだ。ちょっとしたことで何かにぶつかり、落として壊すことも現代より多かったのだろう。 使用人の心境  メイドたちは自分たちの手入れする部屋を、実際のところどのように思っていたのか。つらかった仕事も、あとから振り返れば良い思い出になるのだろうか。  20世紀の初頭に貴族の邸宅に勤めたある女性は、人生でいちばん幸せだったのは、14歳から22歳まで、メイドとして働いていた時期だと語っている(Samuel Mullins & Gareth Griffiths『Cap and Apron』より)。    「この年月を私は、イングランドの貴族とジェントリーが衰退する以前の大邸宅で過ごすことができたのですから……このようなお屋敷に住み、そこにある素晴らしい宝物を眺めたり、触ったりできたのは、特権であったと感じています」  かつて栄華を極めた時代の英国で、貧しい労働者階級の家に生まれたメイドたちは、働きに出た家の豪華な内装を、まるで自分のもののように誇らしく思っていたのかもしれない。しかし、時が経つに