メイドの目で見たヴィクトリア時代のインテリア[再録・後編]

『ヴィクトリア時代の室内装飾 女性たちのユートピア』(LIXIL出版 2013年8月発行)に寄稿した文章の再録です。前編中編はこちらです。

掃除中に起きる小さなドラマ(続き)


クリノリン(スカートを膨らませる骨組)が大流行。掃除のたびに装飾品やランプを叩き落して……。「Punch」1864年。


 たとえ盗まなくても、主人の持ち物に意図せず損害を与えてしまうことはあった。法律上、壊したものの代金を断りなく給料から差し引く行為は許されていなかったが、実情は違ったらしいことが元メイドの証言からうかがわれる。1920年代に老夫婦のコック=ジェネラル(料理を中心に家事全般を引き受ける使用人)をしていたバーネット夫人も罰金の思い出を語っている(Frank Dawes『Not in front the Servants』より)。痰壺を便器の上に落とし、便器を壊してしまったのだ。女主人は怒って週給を差し止め、弁償させた。しかし別のときにも彼女は、朝食のしたくをしようとして観葉植物を持ち上げたとき、鉢が「宙を飛んで」壁に激突し、2週間も給料を止められてしまったという。

 壊れやすい陶器で出来たものや、ガラスケース入りの飾りもので隙間という隙間を埋めるのがヴィクトリア時代風のインテリアだ。ちょっとしたことで何かにぶつかり、落として壊すことも現代より多かったのだろう。


使用人の心境


 メイドたちは自分たちの手入れする部屋を、実際のところどのように思っていたのか。つらかった仕事も、あとから振り返れば良い思い出になるのだろうか。

 20世紀の初頭に貴族の邸宅に勤めたある女性は、人生でいちばん幸せだったのは、14歳から22歳まで、メイドとして働いていた時期だと語っている(Samuel Mullins & Gareth Griffiths『Cap and Apron』より)。 

 

「この年月を私は、イングランドの貴族とジェントリーが衰退する以前の大邸宅で過ごすことができたのですから……このようなお屋敷に住み、そこにある素晴らしい宝物を眺めたり、触ったりできたのは、特権であったと感じています」


 かつて栄華を極めた時代の英国で、貧しい労働者階級の家に生まれたメイドたちは、働きに出た家の豪華な内装を、まるで自分のもののように誇らしく思っていたのかもしれない。しかし、時が経つにつれて、若い女の子の選べる職業が増えると、伝統的なメイドという仕事は姿を消していく。働く家と自分を一体化して感じる喜びと、長時間の重労働、自由時間の少なさ、自尊心を傷つけられる雇い主の干渉などを天秤にかけたとき、別の職業を選びたいと考える女性が増えていったとしても不思議ではないだろう。

 混沌としたヴィクトリア時代風のインテリアは、時代遅れの烙印を押され、簡素で機能的で洗練されたものへと変わっていった。いまでは美術館や時代劇や懐古調のデザインにその幻影をとどめている。廃れていった理由のひとつには、好みや社会の変化に加えて、物理的にそれを支える人間の手が足りなくなったことも大きいだろう。玄関前の階段を1時間かけて白くするメイド・オブ・オールワークはもういない。毎朝6時に暖炉の火格子にやすりをかけ、家具を蜜蝋で鏡のように磨き立てるハウスメイドもいなくなったのだ。


友人宅の家事を手伝うレディ。骨折り仕事は使用人に任せるのが淑女の理想ではあったが、多くの中流階級の家では現実は違った。「Cassell's Family Magazine」1895年。


[了]


この文章が気に入った方には『図説 英国メイドの日常』をおすすめいたします。


補足(2021年10月1日)


 8年たった今、本稿を読み返すと、結論部分はややきれいにまとまりすぎているというか、直線的で単純な「物語」になっているように思う。掲載された本は『ヴィクトリア時代の室内装飾』なので、19世紀~20世紀の初頭、室内を整える仕事を担ったメイドの感情について書いている。でも、その後の歴史でメイド・オブ・オールワークやハウスメイドが煙のようにすっかり「いなくなった」のかというと――確かに「使用人」という呼び名ではなくなった。けれど、同じような仕事をし、同じような悩みを持つ「家事労働者」は存在する。歴史をシンプルで美しい物語に仕立てていないか、ということはつねに忘れずにいたい。

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