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メイドの目で見たヴィクトリア時代のインテリア[再録・中編]

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『ヴィクトリア時代の室内装飾 女性たちのユートピア』(LIXIL出版 2013年8月発行) に寄稿した文章です。版元品切れとなり、新品では購入できなくなっているようなのでここに再録します。 前編はこちら です。2回に分けて掲載のつもりでしたが、ブログで読むには長いようなのであと1回続けることにします。 掃除中に起きる小さなドラマ   女主人たちは、自分と階級の違う少女と一つ屋根の下で暮らすことに恐れを感じていた。使用人を雇えるような裕福な家には、メイドには到底手の届かないような高価な品もある。誘惑に負けて盗みを働く使用人は少なくなかった。雇い主たちは、掃除のついでに主人の財産をくすねることがないか目を光らせていた。掃除すれば見つかるはずの場所に何かを隠し、勤勉さと誠実さを試そうとする女主人もいた。  1920年代にスコットランドでハウスメイドをしていたジーン・レニーは、このテスト法に遭遇してひどく傷ついたことを自伝に書いている(Jean Rennie『Every Other Sunday』より引用)。働き始めた初日、敷物をはがして掃除し、もとに戻そうとした彼女は、部屋の床のちょうど真ん中に半クラウン硬貨(2シリング6ペンス)が落ちているのを見つけて驚く。そのときは何の気なしに暖炉の上に置いておいた。数日後、敷物をめくったら1箱分のトランプが上向きに広げてあった。それでもまだ意図には気づかなかった。同僚のメイドに話してみたら、ひどく憤慨して、それは毎朝きちんと敷物の下まで掃除しているか調べるためだ、半クラウンの件は正直さを試されていたのだ、と教えてくれた。 「わたしはわっと泣き出してしまった。家に帰りたかった。こんなひきょうな方法で誰かにわたしの正直さを試されるなんて、侮辱よりなお悪い、とてもありえないと思った」  1906年生まれのジーンは、ヴィクトリア時代のメイドたちよりも高い教育を受けていて、自尊心も高かったらしい。やがて反撃に出る。執事の部屋へ突進していって糊を借り、コインを床に貼り付けて、カードは1枚残らず裏に向けておいたのだ。次の職に就くとき良い紹介状がもらえないかもしれないという恐れもよぎったが、結局その一件では叱られず、敷物を使ったテストも止んだ。  前述のリリアン・ウェストールも、ソヴリン金貨(1ポンド)をそこらじゅうに置きっぱなしにして彼女を試す雇

メイドの目で見たヴィクトリア時代のインテリア[再録・前編]

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『ヴィクトリア時代の室内装飾 女性たちのユートピア』(LIXIL出版 2013年8月発行) に寄稿した文章です。版元品切れとなり、新品では購入できなくなっているようなのでここに再録します。 2回 3回に分けて掲載予定です。 美しい部屋を作ったのは誰?  厚いカーテンやカーペット、家具、装飾品、絵画、写真、茶器、食器、花や観葉植物……。ヴィクトリア時代の中流紳士淑女の家は、無数のもので溢れていた。室内装飾は、その部屋の住人、とりわけ女主人が、外部の客に対して、趣味の良さや自分の属する社会的地位を示す手段となる。では、それらを磨き、手入れしていたのは誰だったのか?  少なくとも建前上は、住み込み家事使用人の仕事とされていた。産業革命の影響下で急速に豊かになりつつあったヴィクトリア時代の英国で、中流階級以上のレディと認められるには、労働に手を染めてはならないことになっていた。つまり、掃除や料理などの家事の実作業をまかせる家事使用人(ドメスティック・サーヴァント)を、最低1人置くことが、中流階級とそれ以下のラインを引くひとつの基準となっていたのだ。  貴族の大邸宅のように多くの使用人を雇って、それぞれに専門的な役割を与えるのが理想ではあった。家全体の指揮をとる執事(バトラー)や、華やかなお仕着せ姿で扉の開閉や給仕を担当するフットマンなどの男性使用人を雇ったり、馬や自家用馬車を買い、馬の世話係や御者をお抱えにするのも憧れであった。けれど、大半の中流階級の家にはそこまでの贅沢はかなわない。そうなると女性の使用人、すなわちメイドが雇われた。女性使用人は、同種の仕事をする男性より給料が低く、だいたい半額が相場だった。  使用人を雇うことで示す社会的地位の階段は、まずメイド・オブ・オールワークと呼ばれる女性を1人雇うところから始まった。彼女は掃除や料理、家事を一手に引き受ける。1861年の家事指南書『ビートン夫人の家政の書』は、一段階余裕が出来たら、次に子守役のナースメイドを雇うよう勧めている。そして次には女性のコック、使い走りの少年(フットボーイ)と収入に応じてスタッフを増やし、仕事の分担を細かく変えていく。年収1000ポンドの上層中流階級に仲間入りしたら、掃除係のハウスメイドを上級と下級の2人雇い、そして大人の男性使用人も追加する。豊かになった英国ヴィクトリア時代の世相を背景に、

オープン・ハウス・ロンドンの思い出(Sands Films Studio)

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Sands Films Studio, 2019  ツイッターを開いたら、ロンドンにいるどなたかかが「オープン・ハウス・ロンドン」に参加している様子をツイートしていて、うらやましく、懐かしく、切なくなった。 リフォーム・クラブ、2016年 外務省、2016年 モールバラ・ハウス、2017年   オープン・ハウス・ロンドン は、新しいもの、古いもの、公共の建物、個人の家、遺跡、美術館、劇場、最新の高層ビルまで、ロンドンと近郊の数百の建築を一般公開する催しで、例年1回、だいたい9月の半ばあたりの週末に行われる。ここ数年は時期を合わせて旅行して、会員制紳士クラブ、外務省、裁判所、現在も人が住んでいる個人邸など、いろいろなところを見せてもらった。ロンドンに住む人のためのイベントなのだろうけど、興味本位の観光客でもやさしく迎えてもらえる。 サンズ・フィルムズ・スタジオ、2019年  なかでも心に残っているのが、2019年に訪れた「Sands Films Studio」というところ。ロンドンの東のはずれ、テムズの南岸の住宅街にある。1780年代の穀物倉庫だったというレンガ造りの建物のなかに、映画・ドラマの衣装を製作するアトリエ、図像資料アーカイブ、イベント用の小劇場、映像配信用のスタジオなどがぎゅっと詰まっている。 衣装部屋  低い木の梁――ひょっとすると200年以上昔の――の下にいろんな時代の衣装が並んでいる。 窓際のボンネット  夢のような空間に思えた。 映画の衣装  上映会や撮影に使われる劇場(これがまた小さくて美しい)のステージに、製作を担当したというコスチュームが飾られ、『トプシー・ターヴィー』『マリー・アントワネット』、2019年版 『Little Women(邦題:ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語)』 などのものが並んでいた。シアーシャ・ローナンのジョーが着ていた印象的な赤のケープ。  一番新しい『若草物語』の作中で、ジョーやローリーが身に着けていたすごくオシャレな――時代のコードはかなり破った――衣装が、あの18世紀の古めかしいレンガ造りの建物から送り出されたと想像すると、なんだか少しおもしろい。でも、ふさわしいともいえる。古くて美しいものを愛する人たちが(間違いなく、愛にあふれた空間だった)、いまとなっては使用に耐えない古くて美しいものを、補修し

ビートン夫人と手書きのレシピ

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『ビートンの家政の書』1880年代、家事使用人の章  本棚からあふれ出たままの本をどうにかしないことには、新しい仕事に必要な資料が発見できない。確か持ってるはずなんだけど、どこにいったっけ、あの本……となり、資料部屋と画像フォルダを少しだけ整理した。そうしたら今は特に関係ないけど懐かしいものに行き当たる。1880年代の『ビートンの家政の書』。 執事 ハウスメイド  確か2013年に、グラスゴーのダンジョンのような古書店で見つけたもので、表紙から冒頭部分のページがだいぶ欠けているため格安だった(20ポンドもしなかったはず)。この本から図版をいくつか 『英国社交界ガイド』 に紹介したが、なにぶん欠けているし埃もすごいので、本文の内容を読むときには結局Internet Archiveでデジタル化されたものを使っている。 Cokernut Iceの作り方  買ったときにも、仕事で使っていた時にも気づかなかったけれど、ページのあいだに誰かの書いたレシピが入っていた。 ミセス・クロウコム の場合とは違って、どこの誰が書いたメモかはたぶん永遠にわからない。タイトルはCokernut Ice(ココナッツの古い綴り)。そして材料のひとつめにloaf sugar(棒砂糖)が含まれているのが目を引く。 Ormesby Hallのキッチン、2018年訪問  ローフシュガーとは精製して円錐状に固めた砂糖のことで、ヴィクトリア時代にはこの状態で購入し、各家庭で砕いたりすり潰したりして、料理に合った形で使っていた。英国で過去の様子を再現したカントリーハウスのキッチンや スティルルーム に行くと、この大きな棒砂糖のレプリカが堂々と飾られているのによく出会った。ハンドルを回す丸いナイフクリーナーや洗濯物の絞り機、そして「アンティークなビートン夫人の本」と並べて「置いておけば手軽にヴィクトリアンな雰囲気が出る」便利なアイテムなのだと思う。  19世紀の料理に関する本を翻訳する機会を得たいまになってから読み返すと、8年前には素通りしていた部分が気になってくる。こういうことがあるから、やっぱり資料部屋の片付けは進まない。